2020年12月 めずらしくお天気がよかった日の午後
ホヌと一緒にベッドに寝っ転がって、ひなたぼっこしていたら
ホヌがわたしの顔にぴったりと寄り添ってくれました
ホヌが、こんなふうにぴったりくっついてくれたのは初めてで
急いでイチかバチかで、自撮り
焦点も合わせず、カメラをこっちに向けて、シャッター切っただけなのに、驚くほどきれいに撮れていて、私の大切な、大切な写真になりました
昨日のブログで、ホヌを苦しみから自由にするために、安楽死を選んだ、と書きました
ここアメリカでは、ペットが病気になって、治療できる見込みがなかったり、病気のせいで苦しむことがわかっていると、"Putting an animal out of misery" (苦しんでいるペットを苦痛から解放する)という思いやりで、安楽死させるのが、かなり一般的です
でも、私はできることなら、最期まで、なりゆきに任せて、自然に旅立ってほしい
最後の時間を、弱りながらも、猫なりに生きようとしている
その命を自分の手で、終わらせたくはありませんでした
・・・というか、そんな勇気なかった
それに・・・一秒でも長く一緒にいたかった
長男猫のマキシマスと長女猫のグレイシーは、結果、そのとおりになりました
でも、ホヌは、違っていました
猫の最期の迎え方も、それぞれ違うんだ・・・ってことが、わかりました(あたりまえだけど)
日本の安楽死がどうやっておこなわれるのか、私にはわかりませんが
ホヌの場合は
獣医さんが、家に来てくれて、必要な処置のすべては、ホヌが住み慣れた我が家のリビングルームで、静かに、穏やかに、ゆっくり時間をかけて、すすみました
すでにぐったりしたホヌを車に乗せて、動物病院まで連れて行く必要もなく
最期のお別れを、あの冷たいメタルの診察台でする必要もありません
泣いてぐちゃぐちゃになった顔を、他の人たちに見られる心配もありません
ホヌとのお別れは、わたしたちが考えもしなかったほど、穏やかで、やさしさと安堵にみちた、わたしたちだけのプライベートなものでした
わたしたちのように、自宅で最期のお別れをするひともいれば
獣医さんのクリニックへ行くひともいます
そして、家で自分たちで看取るひとたちも
どれがいい、どれはいけない、なんて、はたのひとからみて一概にはいえないことなんだって、今回あらためて思いました
生き方も死ぬときも、ねこそれぞれ
下僕であるにんげんも、おんなじなんですよね
こちらは、今日がクリスマス
メリークリスマス Merry Christmas