昨日の続きです
モーガン・スタンレーがワールドトレードセンター(WTC)からオフィスを移転するには、2006年まで待たなければならない
1990年の警告を評価しつつも、何の手も打たなかったニューヨーク・ニュージャージー港湾公社*を当てにできないと判断したレスコーラは、モーガン・スタンレーの社員全員に3か月に一度、抜き打ちの避難訓練を始めます *昨日の記事に訂正を入れました
当時、モーガン・スタンレーは、WTC サウスタワーの最大のテナントで、22のフロアーに3000人近い社員が働いていました
その社員全員が、エグゼクティブも含めて、会議中だろうが、顧客との電話中だろうが、仕事を中断し、ふたり一組になって、非常階段を使って、レスコーラのオフィスがある44階まで降りていかねばなりません
この避難訓練は、社員(特にエグゼクティブ)からは大変な不評で、かなりもめたようですが、レスコーラは「必要な訓練である」と主張し、頑として譲りませんでした
そして
2001年9月11日
朝8時46分 ハイジャックされたアメリカン航空11便が、WTC ノースタワーに突入
レスコーラは、サウスタワーの44階にある自分のオフィスでその爆発音を聞き、煙を出して燃えるノースタワーを窓から目撃します
この時、9時3分にサウスタワーにユナイテッド航空175便が突入する前に、サウスタワーには、港湾公社から「その場に留まって待機するように」とのアナウンスが入りますが、レスコーラはそれを無視
拡声器(メガホン)、トランシーバーと携帯電話を手に、2700人に上るモーガン・スタンレー社員の計画的な避難を開始します

レスコーラは落ち着いた声と態度で、人々をエレベーターから離れさせて、非常階段へ誘導し、落ち着いて行動するよう呼びかけます
若い時に戦場で兵士の士気を高めるために歌った歌を、階段の踊り場で歌い、避難する人たちを励まし
その合間に、携帯で妻へ電話をかけ、感謝の言葉を伝えています
約2700人のモーガン・スタンレーの社員、ほぼ全員が避難し終えた後、「他の全員が避難したことを確認したら」自分も避難するといって、タワー内へ戻っていきます
レスコーラは、午前9時59分サウスタワーが崩壊する直前、サウスタワー10階で目撃されたのを最後に行方不明となり、3週間後に死亡宣告がなされました
彼の遺骨(DNA)はいまも見つかっていないそうです
彼のことは、数年前までまったく知りませんでした
ワールドトレードセンターの爆破事件も
911も
何年も前から予測し、警告していたことに驚き
その警告が無視されても
あきらめることなく、不評にひるむことなく
できること(避難訓練)をやり続けたこと
その場にとどまるよう、港湾公社がアナウンスしても
自分の判断を信じて、避難を開始したこと
そして、また最後にタワーに戻っていったこと
こんなひとがいたということ
なんといえばいいのか・・・言葉にできません
ベトナム戦争中、彼を「コーンウォールの鷹」(Cornish Hawk)と呼んだひとがいたそうです
今日は、9月11日
25年がたちました
合掌





















