Memorial Day
今日、5月26日(月)は、アメリカの祝日、メモリアル・デーです
日本語では「戦没将兵追悼記念日」だそうです
毎年、5月の最終月曜日がこの祝日で、戦争で命を落とした兵士を追悼し、彼らの功績を称え、尊い犠牲に感謝する日です
といっても、どうなんでしょう
わたしの周りでは、キャンプに出掛けたり、バーベキューしたり、そんなふうに過ごすひとがほとんどですが
今もほぼ毎日投稿を読んでいる、女性政治史家の、昨日(メモリアル・デーの前日)の投稿には、この日にまつわる彼女の思い出がつづられていました
子どもの頃、きまった友達の家にしょっちゅう遊びに行っていて、その友達のお母さんが、サンドイッチやらゲームやらで、いつもいろいろもてなしてくれて、その時に、第二次世界大戦で戦死した彼女の兄の話をたびたびしてくれたそうです
父親が頼りない人だったようで、長男である兄は、配管工として働きながら母や家計を助け、3人の妹たちの面倒をみたんだそうです
第二次世界大戦が始まり、1942年の9月、彼はアメリカ陸軍航空隊(いまはもうない)に入隊します
訓練を終え、派兵される前に、最後にもう一度家族に会うために、3時間の道のりをヒッチハイクして、家に戻ってきました
それが最後の帰宅になりました
彼が入隊した中隊は、空からの爆撃の草分け的存在でしたが、彼が所属した部隊は、1944年になるまで、十分な援護を受けることができず、重爆撃隊のなかで、もっとも多くの犠牲者が出た部隊でした
彼もその犠牲者のひとりでした
1943年8月12日、あと一週間で妹が18歳の誕生日を迎える、その日に、彼は戦死しました
遺体は、第二次世界大戦で戦死したアメリカ軍の兵士の墓地、イギリス、ケンブリッジにあるケンブリッジ・アメリカン・セメタリー&メモリアルに、埋葬されました
戦死した時、彼は、まだ20歳でした
入隊するまで、彼は、できるかぎりの力を尽くして、母親と妹たちを助け、友達のお母さん(妹)のダンスパーティーのために、自分の一週間分のお給料をはたいて、ドレスを買ってあげるような若者だったそうです
彼の名前は、Floyston Bryant
家族や友達からは、Beau(ビュウ) と呼ばれていました
まだはたちだったBeauは、自分の命と彼の目の前にあるはずだった将来を犠牲にして、ファシズムの台頭を防ぎ、アメリカの民主主義を守った
そういう視点で見た時、Beauをはじめとする、多くの兵士たちの犠牲によって、戦後の民主的な平和と繁栄が叶ったことに、あらためて気づかされ、謙虚な気持ちで、大きな犠牲をはらったひとびとに対する感謝と追悼の気持ちが湧いてきます
政治史家の彼女は、Beauの妹さんが亡くなった時に、初めてこの話を書いたそうです
他の妹たちもすでに亡く、友達もほとんどが他界し、もうじきBeauのことを覚えている人は誰もいなくなる・・・そう思った、と
ところが、この話を書いた後、思いがけないことが起こりました
イギリスにあるBeauのお墓を訪れるひとが現れ、墓前に花を手向け、その写真を彼女に送ってくれるひとたちが現れたのです
「Beau Bryant、あなたが命を懸けたその思いは、忘れ去られることはない」
彼女は、彼にそう語りかけています
今年も、メモリアル・デーを前にして、多くのひとたちから「Beauの話をまた投稿して欲しい」というリクエストがあったそうです
ベトナム戦争やアメリカが介入したその後の戦争に、詳しくは知らないけれど、なんとなく疑問を感じているわたしは
もろ手を挙げて、アメリカの軍隊と軍人をサポートする・・・という気持ちに欠けているのですが
このBeauの話には、とても心を打たれました
彼が命を懸けて守った民主主義を
今、ここへきて、アメリカは守り続けることができるんだろうか

(そうとははっきり書いてなかったけど、彼女の投稿と一緒に掲載されていたので、そのはず)